志村けんさんがこの世を去ってから4年の月日が流れました。
彼は、今もなお私たちの心に生きています。
「バカ殿様」というキャラクターは、愚かでありながらもどこか憎めない、破天荒な殿様の姿を見せてくれました。
そんな志村さんは、テレビ以外の場所でも多くの活動をしていました。
その一つにJRAの馬主の顔もあります。
今回は、改めて志村さんの功績と、その知られざる素顔に迫ってみたいと思います。
志村けんのバカ殿様
『志村けんのバカ殿様』は、1986年からフジテレビで放送されていたお笑い時代劇バラエティ番組で、志村けんが自由奔放で破天荒な性格の「バカ殿」を演じました。
バカ殿は美人女性を好むものの、なかなか恋が実らないというキャラクターでした。
バカ殿は女性や家来に対して時には厳しく、また他の武士や大名に挑戦することもありますが、最後には必ず何かしらのハプニングが起こり、「アイーン」という独特な叫び声を上げることで笑いをとっていました。
このキャラクターにより、『志村けん=バカ殿』のイメージが定着しました。
この番組は日本のお笑い史に残る名作と言えます。
出典:バカ殿 – Bing images
志村けん
出典:志村けん – Bing images
本名:志村康徳(しむらやすのり)
生年月日:1950年2月20日
出生地:東京都東村山市
死亡日:2020年3月29日
職業:日本を代表するコメディアン、お笑いタレント、司会者
志村けん:代表的なギャグ・コントキャラ
ギャグ | 怒っちゃヤーよ | だいじょぶだぁ | だっふんだ |
カラスの勝手でしょ~ | 東村山音頭 | 何だって?飛んでもね~おら神様だ | |
アイーン | 志村、後ろ! | ヒゲダンス | |
コントキャラ | バカ殿様 | 変なおじさん | ひとみばあさん |
ギャグの誕生の裏話
・「カーラースーなぜなくのカラスの勝手でしょ~」は、
そばで遊んでいた子供がふざけて歌っていたのをネタにしたとのことです。
・普段みんながジャンケンする時にする掛け声「最初はグー」も志村さんが発祥です。
志村けん:主な番組
8時だヨ!全員集合 | 志村けんのバカ殿様 | ドリフ大爆笑 |
志村けんのだいじょぶだぁ | 天才!志村どうぶつ園 | 加トちゃんケンちゃん光子ちゃん |
志村軒 | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ | 志村けんはいかがでしょう |
志村けんの銅像(東村山駅前に)
「志村けんさん銅像プロジェクト実行委員会」が設置のためにクラウドファンディングを実施して、日本だけでなく世界各地から約6,000名から3,200万円を超える支援が集まり実施・作成されて完成して2021年6月26日に完成して除幕式が行われました。
場所は東村山市の西武鉄道東村山駅前にあります。
銅像の大きさは1M80cmで、「アイーン」のポーズをしています。
出典:「志村けんの像 場所」の検索結果 – Yahoo!検索(画像)
ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズは、1956年に結成され、音楽バンドとしてスタートしましたが、その後コントグループとして広く知られるようになりました。
初期メンバーは「いかりや長介・仲本工事・高木ブー・加藤茶・荒井注」の5人でした。
荒井注が、1974年3月「体力の限界」を理由に脱退した後に、付き人をしていた志村けんさんが加入しました。
志村けん(大切にしていた心構え)おとなの週刊現代(特別号)より
- 自分たちが面白いことを真剣にやる。
- 妙な言い方だけど、大まじめに変なことを考えている。
- 最初から全力でいかない奴は、その時点で先がない。
- 僕は同じことをやって、ワインのように熟成させていきたいと思っているんです。
- 常に全力投球で、苦しみ続ける。
- みんなの力があわさって、いいものができた時には格別の満足感がある。
- 自分の持ち場でちゃんと目立てば、それでいい。
- 飽きられずに、忘れられず
- 自分が好きなことを仕事にしているから、誰も文句は言えない。
- ホメ言葉は重要なコミュニケーションだ。
- 自信が揺らいだ人を笑わせることなんかできないと思いますね。
- 苦労した跡がバレるようじゃダメ。
志村けん:意外な趣味など
〇志村けん:見事な三味線さばき
〇志村けん:パチンコ台も存在しました。
〇志村けん:JRAの馬主もしていました。
志村けん:見事な三味線さばき
津軽三味線を趣味にしていて、ラジオでの共演で知り合った津軽三味線奏者の
上妻宏光氏を慕っていたそうです。
主演舞台で『志村魂』では、たびたび生演奏を披露していました。
見事な三味線さばきで、何度も見ています。NGは何回あったのでしょうか?
1回で撮影が終わっていたら凄いですね。
志村けんをモチーフとしたパチンコ台
・CRフィーバーしむけん、CRフィーバーバカ殿、CRフィーバー変なおじさんなどが存在しました。
ずいぶん昔のパチンコ台でしたがお世話のなりました。
志村けん:JRAの馬主もしていました。
1993年にJRAの馬主免許を取得していました。
合計75レースに出走させましたが、JRAでは未勝利に終わりました。
出典:志村けん 馬主 – Bing images
志村けん:所有馬リスト
志村康徳(シムラヤスノリ)所有馬履歴
馬名 | 獲得賞金 | 馬名 | 獲得賞金 |
アイーンベル | 655万円 | オサキニシツレイ | 150万円 |
アインジェイド | 355万円 | ハルカナミチ | 127万円 |
ケンエックス | 50万円 | アインスピード | 0万円 |
ミツノアジ | 0万円 | アインイチバン | 0万円 |
トノノオナリ― | 0万円 | ハッピーハート | 0万円 |
ダイジョブダア | 0万円 | マイピーチ | 0万円 |
ケンノホシ | 0万円 | ハセノユキノコ | 0万円 |
ケンノムスメ | 0万円 | 計15頭 | 合計金額 1337万円 |
血統的には、父名『サンデーサイレンス・サクラローレル・オグリキャップ・ スペシャルウィーク・アドマイヤドン・タヤスツヨシ・ニホンピロウイナー・タマモクロス』と競馬歴の長い方は、知っている名前が連なっていました。
そして、ダイジョブダアに関しては、父が『アドマイヤドン』で母が持ち馬『トノノオナリ―』によって産まれていました。
バカ殿様は永遠に!
志村けんさんは新型コロナウイルスで亡くなった最初の芸能人でした。
その訃報は、私たちにとって大きな衝撃でした。
ザ・ドリフターズのメンバーとして、そして一人のコメディアンとして、日本中に笑いを振りまいてくれました。
彼の人生は真剣に笑いと向き合った姿勢そのものが、いまでも私たちの心に生きています。
最後に1冊だけ、志村けんさんの書籍をおすすめします。
2020年8月の出版された本です。
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