私は、宮城県南部に住んでいて、2011年に発生した東日本大震災を経験しています。
震災から一つの節目となる10年以上が経過し、時の流れの速さに改めて感じます。
この東日本大震災によって、多くの貴重な命が奪われました。
失われた命の中には、子供の頃からの親しい友人の姿もありました。
こうした個人的な喪失感から、震災についての記憶をこれからも風化させずに伝えていかなければという使命感を感じています。
命の尊さや災害の教訓を伝えるたきっかけとして、この記事を書くことを考えました。
その中で、東日本大震災 伝承復興アニメ『七ヶ浜でみつけた』というYouTubu動画に出会いました。

このアニメは、震災の記憶と復興の歩みを丁寧に描き出し、YouTubeで公開されていることから、多くの人々が手軽にみることが出来ます。
宮城県七ヶ浜町が制作した震災復興アニメ『七ヶ浜でみつけた』とは?
記事作成の過程で、私はより詳細な情報を求めて七ヶ浜町役場の復興推進室へと問い合わせを行いました。
著作権の問題などに不安を感じたためです。
その際に、当時の貴重な資料を提供して頂きこの記事の資料に盛り込みました。
訪れた七ヶ浜町は、災害の傷跡を乗り越え完全復興をしていて、新たな活力を感じましたが、やはり随所随所には同時の爪痕がありました。
宮城県『七ヶ浜町』

宮城県中部の太平洋沿岸に位置していて、日本三景の一つ『松島』の南部にあります。
海沿いに7つの集落があったことから、七ヶ浜と名付けられました。
東北地方の市町村の中で最小の面積で、比較的温暖で寒暖の差が少なめで、
キャッチフレーズは『うみ・ひと・まち七ヶ浜』です。
東日本大震災 (七ヶ浜町での被害状況)
地震発生 | 2011年(平成23)年3月11日(金)14時46分ごろ |
津波発生 | 同日15時51分第1波到達(津波浸水高:12.1M) |
津波浸水面積 | 4.8㎢ (町面積の36.4%) |
避難者数(最多時) | 6143名 |
避難所数(最多数) | 36ヶ所 |
死亡者 | 全111名(詳細) |
七ヶ浜町民で亡くなった方 | 94名 |
七ヶ浜町民で亡くなった町外の方 | 12名 |
行方不明者(死亡届出者含む) | 2名 |
震災関連死 | 3名 |
住宅被害 | 計3929世帯(詳細) |
流失・全壊 | 674世帯 |
大規模半壊 | 237世帯 |
半壊 | 413世帯 |
一部損壊 | 2605世帯 |


今回、役場から頂いた資料の画像です。荒い画像ですが当時の状況は伝わると思います。

当時の津波のスピードと恐ろしさが伝わります。
(わずか15分程度で大きな被害が出たことが解ります。)

随所随所にこのような表示があります。
2023年(令和5年)2月1日現在(七ヶ浜町の資料)
面積:13.19㎢
人口:17895人(震災当時比較:2960人減)
世帯数:6802世帯(234世帯増)
仮設住宅:2017年(平成29年3月31日供与終了)
現在はこのように静かでおだやかな海でした。

当時と現在の比較ができる写真です。
まとめ
まずは、七ヶ浜町役場の復興推進室の方に資料の提供を協力いただきありがとうございました。感謝いたします。特に重要と思われる部分の資料を抜粋して載せました。
NORIは宮城県南部の海から離れた所に住んでいるので幸い津波は経験していません。しかし、その恐ろしさを改めて認識しました。
今回、向かったのは海をみて心を癒す目的でした。そして、3月末に行ったのは、震災が3月だったこともあります。眼に入る光景は復興を果たし全く新しく生まれ変わった七ヶ浜町でした。しかし、経験者は心が完全には癒えることがないでしょう。当時まだ生まれていない子供たちもたくさんいます。
NORIの子供もそうです。その子供に震災だけでなくその他の災害から身を守ることを教育して行かねばなりません。
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