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劉備玄徳が親しまれる理由とは?「桃園の誓い」に込めた友との約束

約1800年ほど昔の中国の歴史の一部の三国志演義での重要人物に劉備玄徳がいます。

それだけ昔の話なので100%すべて本当なのかは不明ですが、この記事は「NHK人形劇読み切り三国志」とアニメーションの「三国志 遥かなる大地」を中心とした内容で構成されています。

劉備 玄徳が大切にしたこととは?

劉備玄徳は「黄巾の乱」を義勇軍を募り民衆のために戦い続ける一方、漢王朝の血筋がもたらす自分の信念や理想を貫きたい思いが強くありました。

つまり、劉備にとっては人民の平和と自分の信念の両方が重要で、どちらか一方を選ぶことができないという弱みを持っていました。

劉備は、私たちと同じく優柔不断な部分も持ち合わせていたがゆえに、時には自分の信念を貫くことが難しかった部分もありました。

出典:劉備玄徳 人形劇 – Bing images

 

劉備の人生に影響を与えて大きな出会い(義兄弟)

184年、黄巾の乱が起きた時期に劉備は関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)に出会い、義兄弟の契りを結びました。この出会いが劉備の人生の大きな転機となりました。

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桃園の誓い

張飛の屋敷の裏手にあった桃の木に囲まれた庭園で、壇と供え物を整え、香を焚いて再拝し、劉備、関羽、張飛の三名は誓いました。

『天地神明に誓う、ここに劉備・関羽・張飛の3名は姓を異にするとはいえ、兄弟の契りを結んだからは、心を一つにして力を合わせ~願わくば同年同月同日に死せん。

天地の神々よ我らの赤心(偽りのない心)にご照覧あれ~義に背き恩を忘れるやからは 天・人これを忠別せん~』

すべての始まりはこの部分に集約しています。

義兄弟の長男(劉備)次男(関羽)三男(張飛)といった関係になりました。

(日本語で表すとこのような言葉です。)

諸葛孔明との出会い(三顧の礼)

出典:劉備玄徳と諸葛孔明 人形劇 – Bing images

劉備が諸葛亮(しょかつりょう)(孔明)(こうめい)の元を訪ねた経緯について語られた部分です。

このことも劉備の知名度を上げた話の内容になっています。

三顧の礼とは、礼儀を尽くして、すぐれた人材を招くために手厚く迎えることを意味します。

「顧」は訪れること、訪ねることを意味します。

実際に劉備は諸葛亮(孔明)を3回訪れたので「三顧の礼」となっています。

4回だったら「四顧の礼」だったのかはわかりません。

この部分はNHK人形劇三国志「第23回 三顧の礼」で描かれています。

1回目は、関羽、張飛と共に行きますが、弟の諸葛均(しょかつきん)が出てきて「兄は居ません」と答えられます。

その際に、同行した関羽が「孫堅軍にいる諸葛墐(しょかつきん)は?」と尋ねると、漢字が違うと答えられます。

兄の孔明は「外出していていつ帰るかわかりません」と答えられます。

この帰り道、孔明の友人と会話した際、劉備は居所を聞きますが、「わからない、来ても会えるのは4回に1回程度」と言われ、なおさら会いたくなります。

2回目、冬の吹雪の中、孔明のもとへ行きます。その際、孔明の友人に会いますが、悪い噂を耳にします。着いてみれば、再度、弟の諸葛均に「出かけた」と答えられます。

3回目、その際も、関羽、張飛と共に向かいます。

また、弟の諸葛均が出てきて、「孔明は前日に帰宅しました。3回も来てくれたのは劉備が初めてです」と答えて外出していきます。

ようやく会えますが、その際に孔明は昼寝をしていました。

それを劉備は一人で何も言わずに起きるのを待っていました。

時間が経過し過ぎていたので心配で、張飛が覗いて、その状況を見るなり激怒したタイミングで孔明がようやく昼寝から起きて、劉備と孔明が会えました。

「第24回 天下三分の計」に続いてようやく孔明が物語に加わります。

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劉備と孔明の関係性(水魚の交わり)

意味:魚は水がなければ、死んでしまいます。

『お互いにとって欠かせない存在』と言う意味。

三国志の中で、これにあたるのが劉備玄徳と諸葛亮(孔明)との関係でした。

もっと詳しく知りたい方は、

三国志歴史年表 | 三国志.jp 三国志総合情報サイト (sangokushi.jp)

孔明の活躍で一時的に平穏が訪れます。

関羽と張飛と出会いによって義兄弟の契り(桃園の誓い)を結び、その後は負け戦ばかりだったところへ、人の縁なのでしょう孔明の噂を知り三度も会いに出向く姿勢が孔明の心をつかみ、そして諸葛亮(孔明)を軍師に迎えることになります。

『天下三分の計』の考えと劉備の考えが、一致していたことから三国志が成り立ったと言っても過言ではありません。

劉備の志(こころざし)は天下統一ではなく、民衆の平和でした。

その後、その他の武将の活躍【趙雲(ちょううん)、黄忠(こうちゅう)、馬超(ばちょう)】と言った豪傑(ごうけつ)の武将、そして、知的人材では、馬良(ばりょう)、法正(ほうせい)、と言った人材にも恵まれて『魏・呉・蜀』の三国時代が到来します。

長くは続かない平穏(三国時代)

しかし、その平和も長続きしませんでした。

義兄弟の関羽の死が待ち受けていました。

呉の孫権に関羽を殺されて、その敵討ち(かたきうち)をしようとした時には、孔明の説得を聞き入れますが、悪いことは続くもの・・・

今度は、張飛が呉を攻める前に陣中で部下に暗殺されてしまいます。

その知らせを聞いた劉備は、地位も名誉もいらない、その前にひとりの人間で居たい!

『義兄弟の契り』約束を最優先させました。

劉備は孔明の反対を押し切り呉の孫権に戦(いくさ)を挑みます

【人形劇三国志63回】

最初は勢いと軍力により勝ち進みますが、この際に軍師の孔明は同行はしていませんでした。

この戦で、5虎大将の一人の黄忠(こうちゅう)も戦(いくさ)で亡くなります。

劉備がはじめて和平(停戦)を断ります。

戦況が不利なために呉の孫権(そんけん)から和平(停戦)を申し入れられますが、劉備はこの時、はじめて和平(停戦)を断ります。

そこへ陸遜が立ちふさがります。

実は、この陸遜(りくそん)を甘く見た戦いが関羽の死を招く原因でした。

劉備も同様に甘く見ていました。

孔明が同行していなったこともあり、劉備に意見する者はいない状況下で府とした油断から、陸遜に奇襲を受けて大敗をきして、『白帝城にこもります。』

玄徳の死【人形劇三国志64話】

劉備は病に倒れます。劉備は夢の中に『関羽、張飛』が現れて、戦いはやめてください。生きてください!と語ります。

心配して、孔明が白帝城を劉禅(りゅうぜん)と共に訪れます。

そこで、劉備は死を迎えます。

劉備の最後は義兄弟の契りを大切にした

NHK人形劇『三国志』において、劉備玄徳は最後の戦いに向かう際、諸葛亮(孔明)から人民の平和を守るためには戦うべきではないと意見され静止されました。

しかし、劉備は『義兄弟の契りを守るためならば地位も名誉もいらない』と語る部分がありました。

この会話が彼の生き方を集約しているように感じます。

桃園の誓いで結んだ義兄弟の約束を死ぬまで守り続けた、その生きざまが語り継がれる要因の一つでしょう。

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