ゲームや漫画、映画など、様々な形で現代に蘇る三国志。
勇猛果敢な武将たちの活躍は、今もなお多くの人々を魅了しています。
しかし、彼らが本当にどんな人物だったのか、あなたは知っていますか?
今回は、NHK人形劇『読み切り三国志』で人気の高かった蜀の五虎大将軍に焦点を当て、歴史に隠された彼らの素顔に迫ります。
蜀の5虎大将軍
●関羽雲長(かんううんちょう)
●張飛翼徳(ちょうひよくとく)
●趙雲子龍(ちょううんしりゅう)
●馬超孟起(ばちょうもうき)
●黄忠漢升(こうちゅうかんしょう)
の5人です。
この『5虎大将軍』とは、三国志演義・物語を面白くするために、つくられた架空の称号で史実ではないとも言われています。
いずれにしても三国志を語る上で欠かせない人物で戦いで大きな活躍をした反面、亡くなり方は地味でした。
関羽雲長
豪傑・義理・人情が熱く部下・庶民には優しかったようです。
同等以上の人物に対しては自分の優越性を主張しがちだったようです。
孫権(呉)の部下(陸遜)【りくそん】が下手に出た書簡により油断した所を魏と呉の挟み撃ちにより亡くなります。
義理・人情があったこともあり、関羽の死後は、曹操の元に贈られた首は曹操の元で、胴体は孫権の元で葬られました。
商売の神様
商売するには信用が大切と言うことから『義』(ぎ)の象徴とされることもあり『商売の神』としてあがめられるようになりました。
その他に、学問の神ともされています。
それを紹介すべく、『漫画・三国志』で、劉備と知り合う前の部分で子供に学問を教えている部分で描かれています。
出典:NHK読み切り三国志 人形劇 関羽 – Bing images

三国志を語る上で絶対的な存在感です。
桃園の誓いを交わした辺りでは軍師的な立場も
果たしていて、義理堅いが上にそれが、人の心に
残って語り継がれているのでしょう。
赤壁の戦いの時に、曹操を逃がした話がありますが、
その時に関羽が曹操の首を討っていたら三国志は
存在しなかったかもしれません。
人形劇では、腕に毒矢が刺さり名医伽陀に治療を
受けているシーンは、碁を指し気を紛らわせて
いるシーンが思い出せます。
張飛翼徳
豪傑・一人で1万の兵に匹敵すると言われていて、雷のような声の持ち主。一騎討ちでは負けなし。
短気・猪突猛進型のタイプで、大酒呑み。
部下の裏切りのため殺されました。

実際に聞いたわけではないので、解りませんが
NORIも大声には自信がありましが、次元が違うのでしょう。
やはり、中国語だったのでしょうね。
文字は読めなかったようなイメージがありますが、
どうだったのだろう~
『猿人張飛とは、俺のことだぁ~』という
アニメのセリフが焼き付いています。
※因みに人形の声は『せんだみつお』でした。
何となく顔が似ているように感じます。
出典:NHK読み切り三国志 人形劇 張飛 – Bing images
趙雲子龍
有名なのは劉備の子と夫人を敵(曹操の陣中)の中に単騎で向かい助けた話は有名です。
誠実さを物語る部分です。
そんな訳か護衛が主な役目だったためか、5虎大将では最後まで生きたとされる人物です。

自分が君主だったら、やはり身近にいてほしい人材です。
出典:NHK読み切り三国志 人形劇 趙雲」 – Bing images
馬超孟起
豪傑・チベット系遊牧民族だが一族の殆どを曹操(そうそう)に殺された。
本人は47歳で病死とされている。

人形劇三国志で張飛と一騎討ちをしたシーンと
蜀の劉章に幸福の説得をしに行ったくらいしか
イメージがありません。
出典:NHK読み切り三国志 馬超 人形劇 馬趙 – Bing images
黄忠漢升
60歳を過ぎた老将で弓使いが上手く老いてからも なお活躍した。
(病死説と戦死説が存在します。)

この時代に60歳での活躍をしていたのなら、
栄養的な状態が整っている今の時代ならば70歳でも、
戦っていたでしょうね。
JRAの競走馬オジュウチョウサンだろう。
出典:NHK読み切り三国志 人形劇 黄忠 – Bing images
NHK人形劇『読み切り三国志』
出典:NHK読み切り三国志 人形劇 蜀 – Bing images
進行役を漫才コンビの島田紳助・松本竜助がつとめていました。
(1982年10月2日~1984年3月24日放送)その後も、
再放送は何度かされました。【全69話】
そっくりな人形(紳々)しんしん・(竜々)で劇中にも
二人は登場していました。
三国志の時代
三国志とは、中国の歴史で漢(かん)と晋(しん)の間の時期を三国時代(魏・呉・蜀)と称して言われています。
まとめ
映画や漫画、ゲームなどで広く知られているのは、その時代に生きた人々の人生そのものに魅力的な部分があったからでしょう。
約1800年前の中国で起こった出来事が語り継がれていますが、歴史書によって正確な情報がどこまで残されているかは証明は不可能です。
しかし、中国全土を統一して平和な社会を築こうとするために、一人一人の人物が命を懸けて生き抜いた姿を描いています。
この時代の移動手段は、『人の足、馬、船』が主な物でした。
そんな時代に生き抜いたからこそ語り継がれている物語です。
蜀と言う国に使えた5人の武将について少しは興味を持って貰えたならば幸いです。