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『救いたい』鈴木京香・三浦友和主演!東日本大震災被災地映画で風化を防ぎたい

この記事は、映画『救いたい』に関することと、風化とはどういうことなのかを伝えることを目的としています。

この映画は、東日本大震災を題材に製作された作品です。

主演を務めたのは、宮城県出身の鈴木京香さん。

夫役は西部警察に出ていた三浦友和さんです。

この映画には、私がずっと応援している宮城県出身の塩竈の歌姫と言われているasari(あさり)さんの『塩竈桜』が挿入歌として使われています。

そのことを知り、確認をかねて、私はこの映画をアマゾンプライムビデオを利用して観ました。

実は私も宮城県在住なので震災を経験しているので、みているうちに当時のことを思い出しました。その上で、最後に風化とはどういうことかを具体例をあげて取り上げてみました。

映画『救いたい』  


出典:「映画 救いたい 画像」公式」の検索結果 – Yahoo!検索(画像)

公開:2014年:

上映時間:110分

監督:神山征二郎

主題歌:小田和正

出演:三浦友和、鈴木京香、貫地谷しほり、渡辺大、津川雅彦、中越典子、宅麻伸、藤村志保ほか

映画『救いたい』 ストーリー

仙台医療センターで麻酔科医長として勤務している隆子(鈴木京香)と、開業医の夫貞一(三浦友和)は夫婦二人三脚で暮らしてきた。だが、東日本大震災が東北を襲って以来、貞一は自分の医院を閉めたままにして被災地で診療所を開始する。隆子の部下の麻酔科医純子(貫地谷しほり)も震災によってただ一人の肉親である父親がこの世を去り、なかなか立ち直れずにいた。

引用元:救いたい (2014):作品情報|シネマトゥデイ (cinematoday.jp)

映画『救いたい』名言:どんな名医でも麻酔科医がいなければ手術はできない。

〇麻酔科医の仕事の大切さを強調していました。(特に全身麻酔の場合)

麻酔をされた患者は何もできないので、その間は完全に麻酔科医がその人の命をあずかることになります。その責任の重さを映画では語られています。

夫である貞一(三浦友和)が妻であり麻酔科医長を務める隆子(鈴木京香)に対して語るシーンで、

「名医だとしても麻酔科医の存在がなければ手術はできない。」このセリフに集約されていました。

三浦友和が格闘:若かりし時代を思い出す。

仮設住宅に住む人びとの回診中に格闘をするシーンがあり「柔道2段」といって見事な立ち回りで相手を倒しますが、油断したところでつい不意打ちをくらいます。

この部分では、若い時に出演していた『西部警察PART-II』に出ていた頃のアクションシーンが蘇りました。

映画『救いたい』挿入歌:塩竈桜 

宮城県の飲食店が集まる国分町のおでん屋での「会話のシーン」で約1分前後、お店でさりげない雰囲気でキチンと採用されていました。(映画の40分近辺です)

映画『救いたい』出てきた諺(ことわざ)

一寸先は闇

つい目の前の事でも、未来は予測できない例え

腹が減っては戦が出来ぬ

空腹では何もするにも力が入らず、よい結果を得ることはできない。

何事もまず腹ごしらえをしてから、仕事にかかることが肝要であるということ。

東日本大震災3・11

2011年3月11日14時46分ごろ三陸沖の太平洋を震源とした巨大地震が発生しました。

この地震の規模はマグニチュード9.0。被害を大きくしたのは激しく長い揺れの後に襲ってきた10メートルを超える大津波でした。

岩手県、宮城県、福島県、茨木県などの太平洋沿岸を中心に、次々と押し寄せました。

そして、「東京電力福島原子力発電所」も被害を受けました。

映画『救いたい』まとめ&風化について

この映画は、東日本大震災後を舞台にしていますが、命の大切さは勿論ですが、その際に生き残った側の葛藤も描かれています。約10年前の映画ですが、一度ご覧になってみてください。

引用元:仙台空港ボウル – 検索 画像 (bing.com)

名取市に2009年3月まで「仙台空港ボウル」と言うボーリング場があり経営していましたが、プレイヤー減少などの理由で閉鎖され建物が残されていました。

その場所、東日本大震災の後,しばらくの間 ご遺体安置所として使われていました。

現在は、その場所にはネクステージ(中古車販売業者)があります。

建物は壊されて、見た目の全く変わり当時のことを覚えていないもしくは、解らない人も増えて来ています。

これが風化と言うことであり、現実です。

地震や災害は突然やってきます。そんな時にあれば助かるのが、ソーラーパネルで充電ができるポータブル電源です。

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