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6月12日はみやぎ県民防災の日!宮城県沖地震を知らない人が増えたことが明らかに

日本の地図

6月12日は『宮城県民防災の日』です。

1978年に発生した宮城県沖地震以降、宮城県の

震災対策促進条例により毎年6月12日は

『みやぎ県民防災の日』と定められました。

現在が2023年なので『2023-1978=45』

ということで45年前の出来事になります。

そして、『みやぎ県民防災の日』と言うことは

東北の人以外は知らないのが現実です。

河北新報社と言ってもピンとは来ませんよね。

河北新報社

『河北新報』と言う主に宮城県で販売されている新聞紙があります。

朝刊と夕刊があります。

その他にもデジタル版『河北新報ONLINE』もあります。

宮城県沖地震(1978年)被害状況

私(NORI)が小学生の頃の出来事でした。

その時は、町営住宅に住んでいて部屋の中に

いたので、外に飛び出した記憶があります。

私自身、宮城県沖地震の記憶はあっても

日時までは、覚えていません。

名称宮城県沖地震(気象庁により命名されました。)
発生1978年(昭和53年)6月12日 17時14分
レベル震度5(マグニチュード7.4)
死者28人
けが人1325人
被害が大きかった場所仙台市

宮城県沖地震(1978年)仙台市

宮城県沖地震の後に、仙台市には(現在の泉区・宮城郡宮城町・

名取市秋保町「あきう」が編入しています。)

1978年宮城県沖地震による各種被害状況(引用資料)

死亡16名 重軽症 10,119名 全半壊家屋 4,385戸 一部損壊家屋 86,010戸 旧仙台市域での家具等の被害 93,783 旧仙台市域での住宅の被害 11,740 旧仙台市域でのブロック塀等の被害 30,891

(注)上記被害状況のうち,※印の付いている数値は旧仙台市域での件数です。
(注)上記の被害状況には,地震発生後,仙台市災害対策本部が市民に対して行った被害実態調査に基づく推計値が含まれており,国及び県の発表している被害状況とは一致しない場合があります。出典:1978年宮城県沖地震|仙台市 (city.sendai.jp)

宮城県沖地震(1978年)被害内容

●ブロック塀倒壊が多発しました。(死者の多かった原因)

●ガラス片、落下物による負傷(当時の市内で10,000人以上に及んでいます。)

●ライフライン(電気・水道・ガス・電話)が被害を受けました。

特にガスが復旧までに時間を要しました。

宮城県沖地震(1978年)火災が以外にも少なかった要因

●地震が発生したら、火の始末をすることが定着していたこと。

●季節的に石油ストーブなどの暖房器具を使用していなかったこと。

●時間帯が、夕食を作るの前の時間帯だったこと。

●8分前に震度2の余震があったこと。

河北新報社 ONLINE版 アンケート結果

河北新報社は、5月19~22日に『読者とともに

特別報道室のLINE(ライン)で友だち登録した人に

実施し、247人から回答があった。

回答者の年代は40~70代が多かった。

出典:「宮城県沖地震 記憶にある?」の検索結果 – Yahoo!検索(画像)河北新報のアンケート内容

宮城県沖地震の認識に年齢の差が大きい

年代ごとに思い出や認識に違いがあります。

河北新報オンラインのツイートをまとめたものです。

ONLINE版 アンケート結果:40代以下

まだ生まれていないために40代以下の半数以上が、いつ起きた?

の内容に6月12日と回答が出来ませんでした。

当然と言えば、それまでですね。

ONLINE版 アンケート結果:40~50代

●祖父が地震のことをよく話してくれた。

●怖くて不安な夜を過ごした。

●土手が地滑りを起こした。

●自動販売機が倒れてきた。

●大工さんが屋根にしがみついていた。

ONLINE版 アンケート結果:60~80代

●星空が無情なまでの美しさだった。

●家具が転倒していた。

●子供がたんすの下敷きになりかけた。

●この世の終わりだと思った。

●グランドピアノが動いた。

宮城県沖地震以降の変化

ブロック塀の建築基準法

1,高さは2.2M以下にすること。(1990年より)

2,旧建築基準法で作られたブロック塀は耐震診断が義務づけられました。(2019年より)

建築基準法の改定

太平洋戦争終結から5年後の1950年に制定されました。

(大きな出来事と改正を記載しました。)

1950年(昭和25年)建築基準法の制定
1968年(昭和43年)十勝沖地震
1977年(昭和52年)仮使用承認制度の創設
1978年(昭和53年)宮城県沖地震
1981年(昭和56年)新耐震基準の導入
1993年(平成5年)木造3階建て住宅の基準見直し
1995年(平成7年)阪神・淡路大震災
2011年(平成23年)東日本大震災
2016年(平成28年)熊本地震

大きな災害の歴史と共に改正が行われています。

最も大きな改正は1981年(昭和56年)です。

家庭で出来ること(災害への備え)

非常用食品・水・飲料水の確保災害時、家族との集合場所や連絡先の確認
スマートフォンなどを携帯する防災グッズの所有
家庭の消火器の使用法や期限の確認安全な避難経路の確認
家具の転倒防止対策防災知識の習得
地震の際は火を消すポータブル電源などの機器の所有

いざとなった時は、逃げるしかありませんが、いつでも使えるように確認はしておきましよう。

まとめ

45年という歳月は、認識や記憶が自然と

異なるものとなることを実感しました。

当時はまだ携帯電話などは存在せず、情報は

テレビやラジオに頼るしかありませんでした。

それこそが当時の時代背景を物語っています。

地震はいつ起きるか予測することが不可能なため、

私たちは最低限の備えをしておくべきです。

もう12年経過している『東日本大震災』『宮城県沖地震』との違いは明らかです。

もしも、宮城県沖地震がと東日本大震災とが逆だったらと思うと恐ろしいです。

もしもの備えは、ありますか?備えあれば患いなしですよ。


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