毎年6月12日は「宮城県民防災の日」として知られています。
しかし、なぜなのか?
知らない人も多いでしょう。
1978年に発生した宮城県沖地震に由来しています。
現在2024年5月、実に約46年の時間が経っています。
年月の流れによって、3.11(東日本大震災)さえも記憶に埋もれてしまうのは自然なことかもしれません。
宮城県沖地震の日、私は小学校に通う子供でした。
町営住宅に住んでいて、あまりにも大きな揺れにビックリして慌てて、外へ出ようとした記憶があります。
その時の行動が正しかったのかは疑問です。
宮城県沖地震を振り返ると共に、その後、改善されたことなどをまとめて見ました。
この機会に防災に対する意識を再度、確認してみましょう。
宮城県沖地震1978年
出典:「宮城県沖地震 1978」の検索結果 – Yahoo!検索(画像)
名称 | 宮城県沖地震(気象庁により命名されました。) |
発生 | 1978年(昭和53年)6月12日 17時14分 |
レベル | 震度5(マグニチュード7.4) |
死者 | 28人 |
けが人 | 1325人 |
被害が大きかった場所 | 仙台市 |
「知らない人が増加!」が明らかに(河北新報アンケート)
河北新報社は、2023年5月19日~22日に『読者とともに 特別報道室のLINE(ライン)で友だち登録する人を対象に調査を実施して、247人から回答が寄せられました。回答者の年代は40~70代が多かった。』ようです。
出典:「宮城県沖地震 記憶にある?」の検索結果 – Yahoo!検索(画像)河北新報のアンケート内容
大規模な調査ではないことと、回答者の数が少なかった為に『地震の日時まで覚えている』割合はもっと小さくなると思われます。
私自身、宮城県沖地震の記憶はあっても、日時までは、覚えていませんでした。
1978年宮城県沖地震による各種被害状況(引用資料)
(注)上記被害状況のうち,※印の付いている数値は旧仙台市域での件数です。
出典:1978年宮城県沖地震|仙台市 (city.sendai.jp)
(注)上記の被害状況には,地震発生後,仙台市災害対策本部が市民に対して行った被害実態調査に基づく推計値が含まれており,国及び県の発表している被害状況とは一致しない場合があります。
宮城県沖地震:被害内容
●ブロック塀倒壊が多発しました。(死者の多かった原因)
●ガラス片、落下物による負傷(当時の市内で10,000人以上に及んでいます。)
●ライフライン(電気・水道・ガス・電話)が被害を受けました。
特にガスが復旧までに時間を要しました。
アウトドアや防災に活躍!【ALLPOWERSポータブル電源】宮城県沖地震で、火災が少なかった要因
●地震が発生したら、火の始末をすることが定着していたこと。
●季節的に石油ストーブなどの暖房器具を使用していなかったこと。
●時間帯が、夕食を作るの前の時間帯だったこと。
●8分前に震度2の余震があったこと。
宮城県沖地震から、約46年で変化したこと
宮城県沖地震の後:仙台市の変化
宮城県沖地震の後に、仙台市には(現在の泉区・宮城郡宮城町・名取市秋保町「あきう」が編入しています。)
宮城県沖地震後の対策
宮城県では宮城県沖地震によるブロック塀倒壊事故の後に、スクールゾーンのコンクリートブロック塀などの
安全パトロールを実施しました。
その後、危険個所の除去を中心に対策が取られました。
ブロック塀の建築基準法改正
1,高さは2.2M以下にすること。(1990年より)
2,旧建築基準法で作られたブロック塀は耐震診断が義務づけられました。(2019年より)
建築基準法の改定
太平洋戦争終結から5年後の1950年に制定されました。
(大きな出来事と改正を記載しました。)
1950年(昭和25年) | 建築基準法の制定 |
1968年(昭和43年) | 十勝沖地震 |
1977年(昭和52年) | 仮使用承認制度の創設 |
1978年(昭和53年) | 宮城県沖地震 |
1981年(昭和56年) | 新耐震基準の導入 |
1993年(平成5年) | 木造3階建て住宅の基準見直し |
1995年(平成7年) | 阪神・淡路大震災 – Wikipedia |
2011年(平成23年) | 東日本大震災 – Wikipedia |
2016年(平成28年) | 熊本地震 (2016年) – Wikipedia |
大きな災害の歴史と共に改正が行われています。
最も大きな改正は1981年(昭和56年)です。
窓ガラスの変化
耐久性は勿論のこと、構造上の改善が施されて『網ガラス、防犯ガラス、断熱・結露防止の複層ガラス(ペアガラス)』など種類が増えました。
そして、破片が飛び散る確率は格段に減りました。
防災訓練などの実施
災害時の避難経路や安全な行動方法についての訓練や啓発活動が積極的に行われています。
特に、学校や企業などで適切な行動や避難訓練が行われるようになりました。
インターネットやスマートフォンの普及
インターネットやスマートフォンの普及によって、より早く正確な情報が手に入るようになりました。
それにより、迅速かつ正確な行動ができるようになりました。
この時代は携帯電話はありませんでした。
家庭で出来ること(備え):おわりに
非常用食品・水・飲料水の確保 | 災害時、家族との集合場所や連絡先の確認 |
スマートフォンなどを携帯する | 防災グッズの所有 |
家庭の消火器の使用法や期限の確認 | 安全な避難経路の確認 |
家具の転倒防止対策 | 防災知識の習得 |
地震の際は火を消す | ポータブル電源などの機器の所有 |
いざとなった時は、逃げるしかありませんが、いつでも使えるように確認はしておきましよう。
流石に46年前は、わたしも年齢的にも幼かったため、その重大さを感じていませんでした。
しかし、約13年前に発生した東日本大震災では、私の幼友達が他界したこともあり、忘れることのできない出来事となっています。
日常生活が戻ると忘れてしまう傾向が人間にはあります。kennminn
自然災害、地震や台風などの災害の時は、人間の無力さを痛感することが多々あります。
その時、正確な判断と情報が命を守ります。
人間同士の絆が命を救うと言っても過言ではありません。
もう一度、家庭内の備えと確認をする良い機会です。
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(東日本大震災の10年後を舞台にした映画です。)